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小川町のどまんなか!!
人気の歴史&山城ナビゲーター・山城ガールむつみさんデザインの『中城』オリジナル御城印です。
中城は、八幡台と呼ばれる西方から東方の小川盆地に向かって張り出す、比高約20mの台地の先端に築かれました。
中城の南側には槻川が流れており、要害地形というだけでなく、水上交通の発達した地であったこともわかります。
土地の伝承では、鎌倉時代には猿尾(ましお)太郎種直の居城だったと伝わります。
猿尾氏は、鎌倉幕府最後の将軍・守邦親王が鎌倉幕府滅亡の際にこの地に逃げ込んだのを助け、匿ったと伝わっています。
中城の西方約800mのところに八幡神社があり、守邦親王が創建したという伝承があります。
今に残る中城の遺構は、二重土塁、横堀、横矢掛かり、虎口などが良好に残っており、発掘調査からも15世紀後半の築城だと考えられています。
「太田道灌状」には、「上田上野介在郷の地小河宿」という記載があり、文明6年(1474年)ごろに太田道灌が現在の小川町にあたる「小河」に立ち寄ったことがわかります。
この時太田道灌が立ち寄った場所こそが中城ではないかと指摘されており、これにより、中城が上田氏の城だったと考えられています。
【御城印について】
太田道灌は扇谷上杉氏の家宰であることから、小河は扇谷上杉氏に関係の深い地であることが見て取れます。
そのため、御城印には扇谷上杉氏の家紋と縄張り図をデザインしています。
また、中城と連携していたと考えられる腰越城と、この地域のシンボルの山である笠山の山並みを描いているほか、中城に建てられている、万葉集の研究書「万葉集注釈」を完成させた鎌倉時代の僧・仙覚律師の顕彰碑にあやかり、万葉集をイメージしたイラストも描いています。